マルマトリートメントセラピスト協会
所見

マルマトリートメントが生まれた背景について、お話しします。

セラピストさんに伝えたい話し 「いのちって何?〜マルマトリートメントが生まれた理由」
マルマトリートメント創始者 西山茂樹
(2015年8月 東京でセラピストさんにお集まりいただき、お話し会を開催。その原稿を基に、本サイトでの掲載のために加筆を行った)

もともと、マルマトリートメントは、何かがわかっていて始めたことではないのです。
マルマということについては、身体にツボのような部位があるよ。とか、それは円を描くようにケアすると良いよ。とか、東洋医学の経絡を示す図面のようなものは一部の文献に残っています。
美容や便秘など様々なマッサージでは、時計回り、反時計回り、あるいは両方でのケアが推奨されています。介護の世界では、要介護者のケアのために、便秘気味のお年寄りにはお腹を大きく時計回り。というようなことが定着し始めています。
でも、そうしたケアによって何がもたらされるのか、正しいケアとはどんな方法なのか。
というようなことは、分かりませんでした。書かれていること、言われていることでは必ずしも良いと言い切れる結果にはならなかった。
例えば、人体図を平面に書いて、その図の肩の付け根に大きなマルマ、あるいはツボがありますよと丁寧に◎をつけます。最初にこの絵を描いた人は、親切な人です。でも、その絵を見た100年後の人は間違えました。
誰でもこの絵を見たら、その部位を正面から押します。あるいはたたいたり、棒を突っ込んでみたり、いろんなことを試します。その結果、肩の付け根にあるその部位が支配する大胸筋はその刺激を嫌がり、固まります。その部位を押したら、大胸筋は固まり動きが鈍くなります。それは決して幸せなケアではありません。

なぜこんなことが起こるのかと言いますと、書かれたものはすべて「メディア」であるがゆえに「メディアの罠」が仕掛けられています。私はメディア出身ですのでメディアにこの罠があることは知っていました。メディアは物事にフォーカスすることで情報を伝えます。そのフォーカスから外れた情報は時間とともに消えていきます。そして、もともと伝えたかったことの情報量も減少し、あるいはゆがんで伝わります。
だから、書かれている通りの結果には決してならないということも知っていました。

私の創始した手技というものは、これを解明し、良い結果が出るように体系づけたものです。
ところが、これはもともと、手技を完成させたいと願っていたのではありません。
私が願っていたのは、いのちって何?という疑問を解決したい。ということだけです。
そしてこの手技は、この問いかけに対する答えの一つです。

いのちって何?

という問いですが、私は僧籍(浄土真宗本願寺派)を持ちます。
私の場合はもう、いのちがわからないので、助けてくださいと仏にすがったんです。わからない以上は、自分という存在は終わりにしてこの世を去りたいのですが、去る前に一つだけ試したい、それを持ってしてこのたびの人生については最後にしたい。それが仏教を学ぶ。ということでした。僧侶になるまで勉強する。それでも気が晴れなかったら、もう無理だからあきらめる。と決めていました。

かなり端折りますが、そこで得られたものは、ただそこに生かされている存在。という事実を認めることです。
自分の苦しみは、現象である存在を、現象ではなく固有の存在だと思いこむ、我執という煩悩によって引き起こされていたこともわかりましたし、自分がその我執に浸かりきっていたことも理解しましたし、そこから逃れるための智慧も分かりました。
それによって、気が楽になりました。生きていることが、苦しみだけではないと知ることができました。
暗闇だけだと思っていたら、実は朝日が昇る直前で、暗闇だけれど真っ暗ではない。この時間帯のことを「暁」と言います。
仏教を学ぶと自分が「暁」の中にいることを知らされるのですが、私の場合もそうでした。

いのちって何?という問いかけは、あらためて自分に問いかけると、たぶんほとんどの場合、心の深層部にたどり着く前に、どこかで聞いた言葉で壁を作って、最深部には入り込まないようにブロックすることになると思います。
私の場合はそのブロックが働かなかったので、都合何十年と苦しみました。

少し前に、あるアナウンサーの方が自死される時に、ブログに、自分は悪魔になった。母親に生まれてきた意味を聞いてしまった。母親は泣いていた。という記事を書き込まれました。私はそれを知って、この人はなんて正直な人なんだろうと思いました。それは、私が知っている世界のことでした。
生きていることが苦しみである。ということは、知らないふりをする。やり過ごす。ということが主流だと思うのです。でも何かの拍子に看過できなくなると、実は私たちは、社会の中では解決の手がかりが見えなくなっている。気づいた時にはもう周囲に助けは存在しない。

私の場合は、今となってはあれくらいの大きな苦しみで良かったとしか言いようがないです。このことで苦しみぬいたのは、それはそんなご縁が与えられていたのであって、それはそれで良かったというか、ありがとうとしか言いようがない。
その試練というものは、私に、実在をきちんと実在として扱う。という視座を授けてくれました。良くも悪くも、楽しいことも苦しみも、途切れることなくつながって行って、マルマトリートメントという奇跡を生み出したのですから。

マルマトリートメントの素晴らしいところは、クライアントの身体がものすごく変わるということですが、それはケアの現場の話です。
もう少し引いて見てみると、身体が楽になることで心が変わってくる。
心の中に希望が失われていなかったことに気づく余裕が生まれてくる。

例えば、受講者さんのサロンで起こっていることですが、この人のクライアントにうつ状態の人がいて、マルマを受けていたら、心が軽くなった。軽くなったら自分が何をしたかったのか思いだした。その夢に向かって勉強をやりなおしている。というようなことが起こります。

もう少し引いてみると、そういう喜びが社会のいたるところで始まります。
その引いた状態で今度は社会全体を見渡すと、社会が変わっていくのが見えます。

マルマのことを説明すると、よく「どんな先生に教わったのですか?」と聞かれます。
直接、手技に関係してくる特定の、個人としての先生はいません。という事実を伝えると、驚かれます。あるいは不審がられます。
その反応は当然であり、しかしどこかで残念でもあります。
なぜそんな反応になるのかというと、この手技は常識で考えれば、決して気づくはずがない事実で構成されたケアだからです。
ということは、驚きや不審を持つ方は、ご自身が常識の中で生きてきたという事実が明らかになります。

本当に心が苦しくなるのは、私はマルマトリートメントと名付けたこの手技を一人でも多くの方に伝えたいし、学んでその手につかんでほしいのですが、伝える過程において、どこかで、このような衝突と言いますか、それは違いますよという事実がむき出しになってくる瞬間があることです。そこで躊躇するわけですが、しかし、違いは違いであり、善悪の評価ではないということの視点に立ち、改めてお伝えしなければならないと思うのです。

その常識とはつまり、人体図を見て、肩のマルマやツボというものを正面から押し込んできた発想であり、感性であり、習慣でもあります。それは、実は習慣ではすまされないのです。なぜかと言うと、それは相手の実在への配慮が欠けたことの象徴でもあるからです。効かないならば、工夫すれば良いだけなのです。

私の手技としては、ねじまわしのようで面白いなあ。ここにねじがあったらこんな風に回して取るのになあ。あるいはこんなふうにして締めてやるのになあ。というような、妄想のようなアイディアだったんです。こうした小さな気づきをひとつずつ検証し、積み重ねていったのです。教えられたのではなくて、気づきを延々と積み上げ、普遍化できるまで積み上げ続けたのです。

私は、介護の専門家の方々が集う組織でもお仕事をさせていただく幸運に恵まれ、ここで大きな学びを得ました。介護職の方々が非常に繊細な仕事をされているということを勉強しました。人の体を細かく見ていくことや、他者と自己との関係については、ここで出会った方々の姿を通しての学びがものすごく大きかったのです。

そういうベースを頂きながら、物理的な行動の指針は自分の妄想に従った。
例えば、何をすれば外反母趾のケアができるのか。
この課題に取り組むならば、外反母趾って何だ?という定義の再検証からはじまります。
何をしたら本質的に自由な足を獲得できるのか。と考えると「あれ?そもそも足って何だ?どんな意味があるんだ?」と延々と、わかるまで考え抜く。それの繰り返しです。gorira足裏の秘密が解けたら次は足首。あるいは、足指。 そんなふうにして、一つ一つの部位の本質的なケアを解明していきました。
4年間で1,000人ほど無料のトリートメントをしますと言いながら、延々と試行錯誤を繰り返していました。延べ人数はもっとすごい数に膨れ上がります。

たとえばそういう視点で試行錯誤を繰り返すと何が見えてくるのか。

これは恐竜の足、ゴリラの足、人の足です。
大腿骨は1本。骨盤の中に大腿骨の端が埋め込まれるかのようにセットされ、膝があって、脛骨と腓骨の2本の骨がありその先に足首関節がある。
つまり、構造が同じなんです。
恐竜と人間は違う種族だと思い込んでいませんか?
足の構造を見たら、同じじゃないかとしか言いようがないのです。肉体の形がちょっと違う。でも、命そのものは何の変わりもない。これが重要なんです。

sakotu東京に来て時間があれば、上野の博物館によく行きます。
いろんな骨格の前で考え事をしています。
例えば、マルマトリートメントの手技の中には、鎖骨を開く方法があります。
なぜ鎖骨を開かないといけないのか?
これに気づくことができたのは、上野の博物館のローランドゴリラの骨格の前に居座っていたからです。ちょうど骨格の前にベンチシートがあるので、じーっと見続けます。
ローランドゴリラならば、鎖骨と肩甲骨が遠く離れているがゆえにリンパが流れやすく、人間ほどはむくまないのです。人間は鎖骨と肩甲骨が近づいてしまうのでどうしても構造上、無理やりリンパを流そうとするため、むくみやすくなっています。
人間の体は構造上むくみやすくなっているのだということが分かれば、それを解決する手段が見えるまで、考え抜きますし、検証を繰り返します。

例えば、これは足の模型ですが、私はこれを1年間、お風呂に持ち込み続けました。
ashi お風呂の中でこれを触りながら、足って何?ということを考え続けました。
正直に言うと、1年間、かばんの中に必ずこれが入っていました。
電車の中でこれを取り出して触っていたこともありましたし、とにかく触って触って、触り倒していました。
仕事の打ち合わせをしているレストランでこれを取り出し相手はもちろん、ウエイトレスの方にもその場で、その時点までで分かっていることを説明することもありました。

こういうことは、大の大人でできるのは、例えばバイクが好きすぎて自宅を修理工場にしてしまう人とか、とりあえずバイクを分解して組み立て直して、わずかなエンジン音の変化にすごい重要な意味を見つけてしまう人とか。そういう人です。だって面白いから。が行動原理になっているときに、こういう行いができます。

マルマの秘密がわかった時のことですが、すべてが体系づけられた時は、ある日突然です。ある日突然わかりました。自分が何をしていたのか、その意味がわかりました。
その日は有頂天になりましたし、それまでの人生で起こったすべての事柄に感謝しました。「間に合った」と思ったんです。
でも、それは1日だけです。そのあと、とんでもない事実を自分が理解してしまったことを知って、憂鬱になりました。
憂鬱さから逃れるためには、この素晴らしいものを、人に伝えないといけない。ということに集中するしかないと思いました。

そしてここには、別の怖さが存在していました。
当時はこれを分かっていただきたいと切に願った方に対して協力をお願いする手紙を書いたのですが、ひとことひとことを書くたびに、心臓が止まりそうでした。この人に拒絶されたら、この手技がこの世から消え去るかもしれない。

なぜかと言うと、これは、人の手が生み出す奇跡だからです。
人の手がなければ、その奇跡は生まれないのです。
だからこそ、これはセラピストさんが手にするべき技術であり、知識であり、考え方であり、セラピストさんの手の中に入ってくれればこそ、人の世の宝になります。
誰にも伝えずに、あるいは伝える前に自分が死ねば、この宝物を見殺しにしたことになります。
自分が死ぬのが怖いのではなくて、コミュニケーションを自分が失敗すれば、宝物が消えてしまう。ということが怖いと思いました。

人身うけがたし今すでに受く。仏法あい難し、今すでにあう。
という仏法礼賛の言葉があります。
あるいは、袖触り合うも多生の縁。
という言葉があります。
いまここに存在するには、過去に数えきれない生まれ変わり、死に代わりをした結論であり、また先に生まれ変わっていく途中経過としての今の自分があります。仏教はこの輪廻から卒業するのがひとつの大きな目的でもありますが、ともかくも、今この瞬間に至るには137億年前から続く歴史があってこそです。それだけの歴史の長さがあって、ヒトとして独立した種になったのは200万年前。道具の使い方など、今の我々にとても近い状態になってきたのは5万年前。5万年も時間が積み重なった歴史の一つが間違いなく、マルマトリートメントであって、それを、誰にも伝えない。あるいは伝え損ねる。ということで消えてしまうかもしれない。
伝える必要はない。伝えなくてもよい。なかったことにして捨てて構わないという選択もあります。ですが、私はそれは嫌でした。伝えなければならないと確信していました。なぜかと言うと、これが人の宝だと知っていたからです。

私は学校を卒業して、日本で最も古い宗教専門新聞の記者をしました。
例えば、国宝や重要文化財の修復現場はいつでも入れました。唐招提寺の金堂修復とかいろんな現場があって、8年間、ひとつの国の最高峰の美に接し続けていたので、私の美意識や価値観はその時の経験が大きく影響しています。これ以上の美はもう存在しないのだという場所で、国宝の建造物や仏像をなでまわしながら話し合うという贅沢な時間を過ごしていました。

そういうプラスのこともありましたし、当時の日本の宗教界のトップの方々から市井の宗教者まで、多くの知り合いがいました。仏教各宗派、神道とわずです。私は多くの方々と親交を深めさせていただく中で、たくさんの学びを得るわけですが、学んだがゆえに知ってしまうこと、気づいてしまうこともありました。宗教でも芸術でも文学でも、誰かがいのちをイメージで語る時には、自分はそのことには全く賛成できない。ということを知りました。また、医療がいのちを物品として扱うことも好きではありませんでした。
何と言いますか、この極端な二つは、聞かされるたびに不快になりました。自分の命は決してその言葉の定義に入らないから、そういう説明をされると居心地の悪さが際立って感じ取られてしまうからです。

千鳥淵例えば、宗教者の問題です。千鳥ケ淵戦没者墓苑があります。多くの仏教宗派は千鳥ケ淵戦没者墓苑を重んじます。ここには無名戦士と戦争に関連して亡くなった人、合計36万2、570柱(平成27年5月25日現在)がおさめられています。
皆さんは普段、ここには人の姿がほとんどないのをご存知でしょうか。私は何十回と通っていますが、私が通う時間、つまり日中、開園時間内にここで手を合わせる自分以外の宗教者を見たことがありません。ちなみに、ここで平和を求める運動をしている人も、見たことがありません。どこまでもひっそりとした場所です。本当はいらっしゃって、その人自身も私と同じような感想を持っておられるかもしれませんが残念なことに私はその場に出会うことがなかったのです。仏教教団の多くはそれぞれが年に1回、千鳥ケ淵戦没者墓苑で大規模な法要をします。それを持ってして、平和への祈りをささげたことにしてしまっています。そして、世の中を嘆きます。でも、そんなきれいなことを、きれいな人が言ってもダメなんです。そんなふうにきれいなことでは、結果として社会に通じないのです。

ちょっと皆さんに考えていただきたいことがあります。
「仏様はどこにいますか?」
お分かりになりますか。
わかってしまえば、すごく簡単な答えであり、当たり前の答えです。
「ここにいます」
「自分の中にいます」
「一人一人の中にいます」
です。なぜかというと、そのひとのいのちの現場は、その人の実在だからです。

仏教では、報恩感謝といいます。
恩に感謝して、報いる。という意味です。
今自分がいることの不思議さに撃たれて、自分を自分たらしめている物事に対して、感謝するしかない。つながり、縁に対して感謝するしかない。ということです。

先の千鳥ケ淵戦没者墓苑でいえば、自分が戦後70年の今を生きていて、70年前に戦争で死に、しかもそれが誰だかわからないくらいに、縁が散り散りにほどけて溶けて行った人たちが36万人もいる。誰だかは全くわからないけれど、でも、そこにその人たちがいたからこそ、今がある。その意味では今と70年前には何も断絶されていない。70年前は昨日でしかない。今、自分という存在を大切に生きようを思ったら、それは、70年前の大戦での310万人の死と決して、無関係ではない。あるいは、戦争反対でありなおかつ「喉から出が出るほどに平和がほしい」と思うのであれば、千鳥ケ淵戦没者墓苑の36万人は無視して良い存在ではない。そう思う時に、自然と足が向くのは、当然のことです。

自然とそうなる人からしたら「自分の日常だからこそ、日常の中で足を向ける」ということをせずに「年に1度の大法要で事足りようとすること」の違和感は感じざるを得ないのです。それは、デモでも一緒です。街頭でデモをするように情熱を持って、しかしここでひっそりと手を合わせるのは決して難しい話ではないでしょう。しかしそれをしないのはなぜ?ということです。

一方で、医学が命を物品として扱うことの例ですがよく言われるように「手術は無事に成功。がんはきれいに取り除きました。手術は大成功。でも患者はなくなりました」ということが通ります。あるいは、医学はコマーシャルに汚染されて、日常的に「いのちをすくう」という言葉を使います。救いは宗教の言葉ですよ。宗教を理解していない文系人による美句。上滑りする美しい言葉が、いのちを見えにくくしているように思えてしょうがないのです。
私自身はそうした感性で語られる死生観であったり、人生観であったり、というものがとても嫌でした。

「幸せな王子様」という物語があるでしょう。
王子様の銅像が、わたり遅れたツバメと意気投合して、貧しい人に自分の体についている宝石や金箔を与え続け、やがて輝きを失った銅像は倒され捨てられる。王子様とツバメは、しかしとても幸せそうだ。という話です。

私は様々なNGO活動とのかかわりも長いですが、かかわりを持ち始めた当初は、幸せな王子様は一つの行動指針のように思っていました。でも、これが大きな間違いでした。
王子様はだれも幸せにしてないです。そんなことでは、人は幸せにはなれないです。
王子様がしていたのは、いいことをしているかのように思えても、実は自分の価値観のしつけであり、傲慢さの押し付けです。
その町には恵んでほしい人ばかりが住んでいたのですか?生きることの中に喜びを見出して、いのちの火が燃えていることを実感している人にとっては、恵んでもらった金箔には、たしかにお金に換算できる価値はありますがそのことと、本人が自分の人生を生きて、何に命を燃やしているかなどの喜びは決して等価でもないし、比べるべき項目でさえありません。

ストリートチルドレンがない理由ミャンマーという国がありまして、ここにはストリートチルドレンがほとんどいません。
捨てられた子供がいると聞けば、近くの寺が片っ端から引き取るからです。
僧侶たちは、育てられるかどうかなんて計算しません。
はじめからお金も家もないし、ご飯もありませんから。
でも、彼らは迷うことなく引き取ります。
そして食事ですが、托鉢と言いますが、早朝に列を組んでおひつを持って村を歩きます。そうすると、村の人がその中にご飯を入れてくれます。
托鉢の食事の面白いところは、「もらったものは食べる」「もらわなかったものは食べない。食べられない」ということです。
日本人の僧侶が来たよと言えば、向こうの住職もそれなりに対応します。
そこで、お昼以降は食べないですから、それよりも前に寺に着いたら、「一緒に食べなさい」と言って一応は、ふるまおうとします。
ある時は、住職が上機嫌でそういったものですから、近くにいた、頭が白カビだらけの小僧さんがそっと背中をつついてきて、振り返ったら、自分のおひつのふたをそっとずらして見せてくれました。
中身は空っぽです。
もらったものを食べるということは、ない時は食べない。ということと同じ意味です。
小僧さんには、日本語で「分かってるって」と言いましたら、うなずきました。肝心なところでは人って、何語でしゃべっても分かるんです。

托鉢 食事 食事 食事

僧侶は食事を乞う。と言って、乞食という漢字を書きます。食を乞う。でもそれは、モノとしてのご飯を頼んでいるのではなくて、食という要素を介した縁の話です。その時に、ご飯を食べるという縁があれば食べる。その縁がなければ食べない。それだけのことです。ある時には、炊きたてのご飯の上に、バナナが1本乗っかっているご飯でした。おいしいはずがないのですが、そこにはおいしいかどうかは求めない。たまたまその時はそれが与えられる縁だからいただくだけのことです。托鉢の意味って、それくらい、真剣なことなのです。

そういう社会で寺に引き取られると、しかし今度は社会が彼が成長するにつれて、いろんなお話を聞いたり、お経をあげてほしいからと通い、寺を作り、住職になってもらったり、いろんな役割を頼むようになります。

この子どもは、もともと社会から切り離されて、はじき出された子たちです。
それが、仏教という社会を縦横無尽に結び付けているシステムによって、今度は指導者的立場で、社会の真ん中に帰ってくる。そういういのちの循環を生み出します。

先進国はどうでしょうか。
福祉国家を標榜して、税金でもって公平なセイフティネットを広げようとしていますが、その網から漏れたら、年金の支払額が減らされたと言って、社会を恨んで自死を選んだり、あるいは、食事が手に入らずに餓死する人もいます。そんな悲しい最期を生み出す国のどの部分が先進国なのでしょう?

水ガメもうひとつミャンマーで最も好きな事柄の一つに、街角の水ガメがあります。
ポリタンクもありますが、基本は素焼きの大きなかめです。中に水が入っていて、素焼きの肌を通じて少しずつ蒸発しますから、気化熱が発生していつも冷たい。
この水は、誰が飲んでも良いのです。そして、気づいた誰かがまた水を継ぎ足します。
ポイントは、知らない誰かが、知らない誰かのために水を足し、それを本当に、見ず知らずの人が飲んでいく。ということが繰り返し行われる。ということです。
自分の行動は、知らない人の行動に対してコミットしている。

これを説明すると、「いやいや、近所の人という前提があるはずだ」という話が出ます。
でも、そうじゃないです。
知人が前提であるならば、このシステムは崩壊します。
知人が前提であれば、知人ではない人が飲むことはイレギュラーであり、そのイレギュラーの中には縄張り意識であったり、清潔の問題であったり、とにかくこの水ガメというプロジェクトが止まってしまうベクトルが働きます。
知らない人の行動が前提であり、ときどき知っている人も使う。ということが事実です。
飲む人は、ここに毒が入っていないことを知っている。水を足す側は、誰かがこの水を飲むことを知っている。
だからこそ、何百年も、水ガメに水を足し続けることができるのです。
これが、縁による社会の動かし方のひとつの姿です。

こうした事実に出会ってしまうと、幸福な王子様の話が、頭のいい人によって、現実から遠く離れた書斎で書かれたことなんだなあということが分かります。

ジビタダーナサンガホスピタルマルマトリートメントの概念を総括する、モチーフのようなものとして、ヤンゴン市内のジビタダーナサンガホスピタルという病院に飾られている大きなお釈迦様の絵があります。テキストにはこの絵を掲げています。「いのちを差し上げる病院」という意味です。

ここは、診察や治療は僧侶ならば無料。市民はお金をもらう。という建前がありますが実際はだれでも無料、もしくはごくわずかな寄付金を渡すだけ。という仕組みです。医者や看護師は、自分の正規の職場からの給与を得ており、空いた時間でこの病院にボランティアで登録し、勤務します。
王たる仏陀に伝えたいと願うものは、病めたる僧侶に仕えよ。という一文があって、仏陀に仕えることが目的のように示されますが、実際は、この絵の通り、倒れた者に対して仏陀が最初に手を差し出します。仏陀とは、してもらう立場ではなく、する存在だからです。こういう病院はミャンマー全土にあって、病院の真ん中には、ほぼどこでも、仏陀像が安置されています。

アーユルヴェーダ病院 アーユルヴェーダ病院 アーユルヴェーダ病院

あるいは、アーユルヴェーダの人気が日本でも高まっていますが、インドと並んでアーユルヴェーダが息づいているスリランカだと、西洋医学の病院とアーユルヴェーダの病院は、基本的に診察も治療も無料です。外国人に対しても無料です。もちろん有料のプライベートクリニックも繁盛しています。
仏陀 私が以前に取材したアーユルヴェーダの病院でも、病院の真ん中に仏陀像が安置されていて、どの角度からも参拝できるようになっています。
アーユルヴェーダと仏教はもともと同じです。仏陀の主治医のジーヴァカさんのしていた医療がアーユルヴェーダだと言われます。
また、仏陀その人が名医でもあったと言われます。仏陀は名医ですから、生活習慣を改めることで治る病ならばその指導をし、心の病ならば教えを聞かせる。そんなふうにして、その人に応じたケアを施しました。
その中で、私の好きな話があります。ある男が、仏陀が説教に来ると聞いて、遠い村から飲まず食わずで説教をする村までやってきます。ようやくたどり着き仏陀の話の輪に加わろうとしたら「あなたには聞かせないよ」と言われます。男は信じられない言葉に耳を疑います。仏陀が続けます。「あなたはまず、ご飯を食べなさい」。
あなたに今必要なのは心の話じゃない。その身体を癒やすことだ。… 実在を大切にしようとする鋭い視線がなければできないことです。

これは、仏教の側に立てば当たり前のことです。

仏教を伝えるときにとても大切なことなので、ご存知の方も多いでしょうが、仏教という言葉には漢字の間に言葉を足してみると「仏が語った教え」「仏のための教え」「仏になるための教え」といった言葉がはいり、どれでも正解なのですが、どれをとっても「働き」のことです。

仏教とは、知識のことではなくて、働きのことで、それは智慧と慈悲で語られます。
闇を照らす智慧こそが苦しみから離れる力なのですが、智慧というものがあるなあと眺めているだけでは働きにはなりません。
ここには、慈悲という要素が不可欠になります。
慈悲というのは、悲しみを慈しむと書きます。
仏の慈悲というのは、悲しみ、苦しみに寄り添うだけではなく、相手の悲しみ、苦しみに同化することを言います。ですから同じ悲しみ「同悲」と言ったりします。

慈楽ではなく、慈悲なのは、仏教では生存の前提として苦しみを直視します。
ある教えを仏教か、仏教ではないのかを見分ける方法があって、それは「三宝印」と言って、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静を言います。
諸行無常というのは、すべてのものは移りゆく。固定されたそのものというのはありはしない。固定化された存在だと思っているから苦しみが延々と続くのだ。ということです。

諸法無我というのは、すべてのものは縁によって成立しているのであり、固定されたワレというものは存在しない。にもかかわらず、ワレという存在である自分に縛ら、自分を確たるものとして扱い続けるところに苦しみが生まれる。

涅槃寂静というのは、悟りの世界というのは、諸行無常、諸法無我の事実に抵抗して暮らしていくことから生まれる苦しみとは対極にあり、執着という煩悩から生じる苦悩から離れ、そこは本当に静寂なのだということです。

生きているものは人間も動物も虫も植物も全部ひっくるめて衆生といって、すべてのいちのは同格なのですが、それらは生存するがゆえに諸行無常と諸法無我の事実を認めたくない、我執の熱にさらされているので、常に苦しみであり、悲しみです。

だいたい、不殺生と言って、仏教者が守らなければならない戒律の一番最初が、なんじ、殺すことなかれ。です。でも、すべてのいのちは同格です。優劣がありません。
つまり、他者は殺さないけれど、自分が生き延びるためにご飯は食べたい。ということの矛盾であり、嘘であり、ということがさらけ出されてしまって、言い訳ができなくなるんです。
不殺生の結論は、「絶対無理」なんです。その約束はただの一度も守れません。苦しいです。という答えしか出てこないのです。
第一問で、自分の嘘に打ちのめされる。というのが仏教です。

そこに寄り添い同化し、智慧の目で見てごらん。苦しみから離れる方法がちゃんとあるんだよ。と言っています。我執でつかんでいるものは幻想であり、本当のいのちの姿じゃないんだよ。本当のいのちは縁で成り立っていて、育まれる縁にあれば育まれるし、壊れていく縁にあれば壊れていくよ。
どちらも、一瞬たりとも躊躇しないんだよ。ということが教えられていきます。
智慧が人に届けられるのは、慈悲によって自分に同化してくれるからです。

智船、慈水に 浮かぶ と言ったり、慈船、智水に 浮かぶ。と言ったりします。

比叡山延暦寺という寺があります。1200年前に建立されました。
伝教大師・最澄さんという人が作った寺が母体になって、延暦寺ができました。

私はものとしての国宝、重要文化財はいつも身近にあったと言いました。
しかし、もうひとつ、違う国宝があります。
最澄さんにはある使命があって、その使命を全うしたいから延暦寺を作りました。それは、「国宝を作る」ということです。

「一隅を照らす。これ国宝なり」すごく有名なメッセージです。
社会の片隅に闇があるよ。その闇は、悲しみや苦しみでできているよ。
そこに光を注ごう。というわけです。
その光は、人です。
闇に光を注ぐことができる人を育てる。その人こそが国の宝である。
最澄さんはそう言いました。
そんな奇跡を実行してしまえるのは、仏の慈悲があればこそなんです。

私はなぜ、マルマトリートメントが人の宝だと知っていたのか?
それは、人の世は悲しみ・苦しみで満ちている。ということを知っていたからです。

一人の人がここにいて、この人が今までに経験した喜びも悲しみも、すべてこの人が実在すればこそ起こったことです。そして、これから先にこの人が出会う喜びも悲しみも、同じようにこの人の実在があればこそ、起こることです。
この人の実在を遠く離れて、地球の裏側で起こったりはしません。

汝、殺すことなかれ、というまでもなく、実在を大切にしなければならない。しかし、その実在は、実在であるがゆえに、悲しいことや苦しいことで満ちてくる。だからわざわざ、諸行無常ですよ。諸法無我ですよと、事あるごとに教え続る必要がある。仏の智慧の目をなくすと私たちはすぐに我執に囚われていく。

この、尊くもあり、苦しみの元凶でもあるのが、実在です。
でも、マルマトリートメントの手技と、それがもたらす結果ならば、その光と闇を両方併せ持つ実在を、丸ごと肯定できる。闇を拒絶するのではなく、ありのままで肯定できるのです。
しかも、受け手は圧倒的に心地よい。これが宝だと言わずに何を宝だというのか?ということを思いました。

実際に、受講されて自分のサロン展開をされている方には、クライアントがもう、マルマトリートメントしか受けたくないと言い始めている方が続出だそうです。この方自身も、自分もやっていて面白いので、実はケアは、もうこれだけをたくさんしたい。と思っている。なぜ、双方が面白くてのめり込んでいくかというと、これは実在へのリスペクトを具体的に実感できるからだろうと思います。する側もされる側も、そこにある誇り高い自分、誇り高い相手に気づく。命の尊厳に気づくからです。

仏教という言葉の間に、仏のための教え、仏が説いた教え、という言葉を入れると、仏は浄土にいても構いません。
ところが、仏になるための教えという言葉を入れたらどうでしょう。
仏はすでに仏なので、この教えは、まだ仏ではない存在のためにこそ、振り向けられるのだと言うことが分かります。まだ仏ではない者は、どこに住んでいるのか。当然、極楽浄土には住めません。

この者たちがいるのは、我執によって苦しむ世界です。
6つの道と書いて六道と言います。
地獄、ガキ、畜生、修羅、人間、天界という6つの世界です。
これはそのまま、世界そのものを表しますし、また、人間の心の状態も表わします。

地獄、これは罪の意識にさいなまれているときの自分。
ガキ、これは欲望が止まらずにいくらでも求める。いくら求めても足りることを知らない。
畜生、これは云われたことはできるが創造性がないし、自分で仏教に出会うこともない。
修羅、これは怒りの心が収まらずに、誰かを攻撃しなければ気が済まない。自分にとっての正論を語ることをやめられなくなっている人が多いでしょう。正義を語ることに夢中になる人は、ああ、自分は人間ですらないんだなあと知ることです。
人間、喜びが続かずに苦しみがいつも顔を出してくる。五蘊盛苦(ごうんじょうく)と言って、人間を構成する要素から苦しみが生まれる。平穏だと思うこともあるが、長くは続かない。しかし、物事を理解する能力があるので、仏教に出会うことができる。
天界、喜びの真っただ中にいる。しかし、仏教に出会うこともなく、その意味では決して最上級の喜びにはならない。転がり落ちるときにはとてつもない苦痛を伴う。喜びの時間は長いが永遠ではない。その意味で、虚実である。

…結局、仏になるための教えだとしたら、六道の中で転げまわっている者に寄り添い、その者ずばりにならないといけない。それ以外に、仏になるための教えを伝える手段はない。それは、仏の働きである。そこに、国の宝と言うべき光が宿る。

これは、仏教ということにもし抵抗があれば、こういうことをお話しします。
ナイチンゲールの『看護覚書』とか、ヘンダーソンの『看護の基本となるもの』では、クリスチャンの精神に基づく看護論が展開されています。
患者の心を先回りして、治っていく過程に寄り添っていく看護師の姿を示しますが、ここでは「相手の皮膚の内側に入っていく看護」という考え方が示されます。
物言わぬ患者、あるいは本心を言わない患者。そういった人たちの心の中を知ることの重要性が示されますが、もっと大事なことは、「相手の皮膚の内側に入っていく、その苦痛を自分が引き受ける」ということです。この「その苦痛を自分が引き受ける」ことが、ケアの本質の一つです。

マルマトリートメントでいえば、人の手によって再現されていくものです。自分以外の人に手によって、マルマトリートメントがなされる時には、そこには、私は仏法の再現を求めているのではありません。まったく求めていません。
キリスト教徒の皆さんがしても良いし、神道の信徒さんがしても良いし、共産主義の皆さんがしても良いし、無宗教の哲学者がやっても良いし、精霊信仰の方がなさっても構いません。そんなことはぜんぜん問題ではないのです。
受ける側も、どんな人であっても構わないのです。どんな人であっても、する側とされる側の実在へのリスペクトの手段の一つとしてマルマトリートメントがあります。
もし、何か、条件のようなものがあるとすれば、ケアをする瞬間には必ず、誠実であること。セラピストとクライアントがケアをしている、その二人の間にこそ、命を尊ぶ、美しい世界が生まれるのだと言うことを知ること。そんなものです。

なぜ、マルマトリートメントが生まれたのか、という、この奇跡の経緯を正直に説明する必要があるとすれば、それは「いのちって何?」と問い続けて、いろんな場所でもがいていた私という人間の時間の積み重ねがあったからこそ生まれたものである。としか言いようがないのです。
その誕生の瞬間にはそのこと以外には何もなかった、ということが事実です。
だから、同じように生きている皆さんの手の中に、返したいのです。

マルマトリートメントの概略をお話しました。
後半は、セラピストさんに伝えたい話し。をします。

仏教は、時間軸で言うと、今を知っていく手段がたくさんあります。
例えば、お釈迦さまが亡くなった後、仏法が残り、その仏法もまた消えていく。ところが、56億7,000万年後に、弥勒菩薩が如来となってこの世に降り立つとなります。この途方もない話の結論は何かというと、56億7,000万年後にコミットするのではなくて、仏陀がいない今という時代を見なさい。です。地球の回転に応じてカウントされていく時間のことをギリシャ人たちはクロノスと言いました。一方で、主観的時間のことをカイノスと言いました。
私の好きな川柳に、「あなたの脳に、タイヤの跡がついていた」というものがあります。エッジがたった日本語の鋭さ、美しさというものは、この歌を知るまでは感じたことがなかったです。これを知った時の衝撃ったらなかったですね。自分が記者として言葉で仕事をしている時でしたが、レベルが違い過ぎて、予定調和も既存の美的感覚も全部飛ばしてしまっていて、脳裏に焼きついた一瞬のきらめきみたいなものです。これはクロノスではなくて、カイノスです。

私たちが勉強をするというのは、必然的に小学校からの勉強のスタイルに従うことが多いです。つまりテキストを開いて読み込み、テキストの内容に沿って問題を解いていきます。ここに、時間の感覚がちょっとおかしくなってくる秘密が隠れています。「学ぶことはすべて、他人の記憶だ」ということが、勉強に潜む罠です。私は都合17年、業界紙の新聞記者をしていましたが、もうできないです。もうしたくないということと、したくてもできない。という両方の側面があります。いろんなメディアの記者とも付き合いました。有名なメディアの記者は賢い人特有の感覚を持っていましたが、語り合うほどに、怖くなっていきました。 話していることのほとんどが他人の記憶だからです。取材をして記事にまとめてデスクに出稿し、また次のネタに出会いに行く。
自分の24時間というクロノスの時間はそうやって費やされます。そこで積み重ねられていく情報の多くのは、実は他人ごとです。

反対に、自分の時間を積み重ねた人もいます。
筆者例えば、東北の震災後に現地に通ったのですが、そこで出会った支援活動をなさっている方で、この人は筋金入りの「農の人」でした。「農の人」の強靭な精神を、この人から教えられました。
話す言葉は、自分の人生に軸足を置いた言葉です。支援とは何ぞや。ということも、自分と被災された方との距離感も言動がすべて自分の経験に基づくものであり、ここには浮ついた要素がありませんでした。
この方は実は田んぼを耕すのは、自分の腕で、くわ一本でやります。機械は入れません。営農の方法で、そういう哲学の学派のようなものがあって、そこの最後の弟子を自認している方でした。
この方がいいました。
「他人の生活の復興に、自分の喜びをそのまま乗っけてしまうような悪趣味ならば、支援活動など今すぐにやめてしまったほうがよい」です。そう、一歩間違えれば支援活動って、ものすごく悪趣味で不快なんです。

また、津波で船をなくした漁師さんとも知り合いました。私はそこに行くのに、毎回、何も持っていきませんでした。多くの人がありったけのものを持ち込もうとするときに、私は何も持っていかなかったのです。なぜそんなことをしたかというと、自分が絞って出せる金額など知れていて、出せるときには出すだけ。そもそも多くの方に行きとどくだけの物資があるわけでもない。大きなボランティア団体の一員でもない。なので、持たざる者として行くしかない。そういう背景があります。この方と最初に出会ったのは、震災後1カ月が経ったときで、彼はなぜか避難所の中で僕の手を握って、また来い。と言いました。周囲の人が「あの難しい人が、なぜあなたにだけあんなことしたんだろう?」というのですが、「正直に言って、僕は皆さんに回せるだけの資金も物資もないから、何も差し出せないかもしれませんよ。そして、来ても何もしないかもしれませんよ」と答えました。そうしたらこの方は「何も要らないから来い。君が来てくれるだけで良い」と言いました。なので、その後、いつでも何も持たずに通いました。周囲の方々も、何も持たないけれどイヤではない人。という感じで付き合ってくださいました。

この方も震災直後から集落存続のためにいろんな決断をしてこられました。話す言葉もすべて、同じように自分の人生を歩んだからこそ出てくる重たい言葉ばかりでした。口下手な漁師のお父さんが絞り出す言葉のインパクトは計り知れず、聞くと必ず打ちのめされていました。

記者同士で話すとどうにもこうにも、口から出てくる言葉が軽い。相手に届かずにすべっていく。というのが実感としてありました。もし、自分が超ベテラン記者になったころには、同じような軽い言葉しか持ち合わせていなかったとしたら、それは悲劇だろう。と思っていました。それは何かというと、クロノスはたっぷり使って良い仕事はしてきたんだけれど、人生の蓄積にはなりえなかった。カイノスの蓄積はすくなかった。ということです。

これは、知識の勉強をした結果得られる「知っている」という領域で起こります。知識が豊富で偉い。と思われがちです。
例えば、仕事をし始めた新入社員は、先輩・上司から「そんなことも知らないのか」と嫌みを言われたりします。その時は必死に勉強してカバーしようとしますが、数年たって振り返ってみると、実はそこで語られていた事柄って、隣の席にいる人や、近くの先輩に聞けば済むようなことでしかなくて、少なくとも、知っているからと言って威張っても構わないような内容ではないことがほとんどです。最近なら、そんなことはグーグルで調べて事足りるようなこともあります。

「知っている」の領域をいかに芳醇な世界に仕上げていったとしても、それはその人の個性を輝かせるような良い話にはなりにくいです。雑学王は一見すると魅力的かもしれませんけれど、うんちく話は、職人の無口な頑固おやじの一言にはかないません。

でも「知っている」の世界を豊かにすることがものすごく重要な価値あることとして感じ取っているのは、実は現代人は、そのように仕向けられているからでもあります。
これが後で重要になるのですが、私たちの社会は「知っている」の世界に押し込まれていく方向に進みます。

「知っている」の次の段階は「分かっている」です。
「分かっている」は「知っている」の情報をさらに噛み砕いて自分の身にしている状態です。ここでは、他人の記憶と自分の記憶が混ざり合います。
例えば、お母さんのお味噌汁は美味しいことくらい、分かっている。です。
体験として、積み重ねられた事実があります。

 十億の人に十億の母あれど わが母にまさる母ありなむや(暁烏 敏)
これは明治から昭和29年まで生きた、東本願寺・大谷派の総長・あけがらす はやさんが残した言葉です。当時の世界の人口では、だいたい15億人から20億人くらいで、お母さんという存在が10億人くらいです。自分のお母さんが亡くなった時に詠んだ歌で、10億人の母がいるが、自分の母が一番だよと、素直に思ったときのことです。わが母にまさる母がいないことくらい、分かっている。これは、母という他者の記憶と自分の記憶が融合して、もう、人生の中でそういう時間を過ごしてきてしみついていて、なかったことにはできない。

この歌を聞かされた側も、自分の人生を振り返り、うんうん、そうだなあとうなずくしかない。自分の記憶と、はやさんの記憶が重なり合ってくる。こういうことが「分かっている」という領域です。共感する側にとってはまだ、時間で言うとクロノスです。

ドラマチックに変化が起きるのは、「できる」の世界です。
ここでこそ、自分の人生が自分の中に入ってくる、大転換が起きます。

価値観の大転換ということでいうと、観無量寿経というお経があって、阿弥陀如来の隣には観音菩薩と勢至菩薩がいます。
観音菩薩が阿弥陀さんの慈悲を、勢至菩薩が阿弥陀如来の智慧を象徴しますが、勢至菩薩がとても巨大な仏で、この仏が一歩歩くとすべての世界が震えるという表現があります。揺れ動いたところには500億の宝の花が咲く。この菩薩が座ると、また世界が揺れ動き、花が咲き乱れる。という説明がなされます。この菩薩が揺り動かすのは、地球の大地ではなくて、ひとりの人間の心の大地です。

また、仏の絵を描く専門の仏画家さんともよく討論会をしていました。
ここで描かれるものは、現代でいうアート作品ではなくて、信仰の対象であるから純粋な職人の仕事です。仏像彫刻も同じです。

知人の仏画家さんと話していて、伝統工芸の話になりました。そもそも、日本には現代社会でいうところのアーティストはいなかった。国宝になっているものはすべて、何かをするための道具であるから、それはアーティスト文化ではなく職人文化だった。
師匠や社会は弟子になる以前の小僧さんの適正とか才能を分析して、適切な職場に誘導したのではない。
ものになるのかならないのかという予測は関係なく、とにかくできるようにした。このシステムがものすごく重要なんです。

弟子が「できる」の立場に立つ腕を持った時には、必然的に「知っている」も「分かっている」も手に入っていて、弟子は自分の人生を切り開くことができたし、次の小僧さんを自分と同じように、ひとかどの人物に育て上げることができた。そんなふうにして誕生していった職人たちの背中に、日本の文化が背負わされていた。適性があったからではない。ただ、できるまでやった。できるようになったら、本当にあとは、何とかなった。です。

もうずいぶん前に亡くなられたのですが、京都に、大塚全教さんという尼僧さんがいました。私の大好きな人でした。彼女は大石順教さんという、同じく尼僧さんに師事しました。順教さんは明治の人で、お父さんが乱心し屋敷の中で日本刀を振り回し、一家を惨殺。順教さんは両腕を切り落とされたが、生き残った。そこからが彼女の壮絶なドラマの始まりで自分から見世物小屋に就職します。そして見世物になりながら、一方で画家と出会い結婚、出産し、離婚します。彼女は高野山で得度して僧侶になります。口に筆をくわえて般若心経を書道として書き、日展に入選します。書家として一躍時の人になります。その一方で、京都の山科に勧修寺という寺があってその中に、自分の庵を建立します。障害をお持ちの女性を引き取って共同生活をして、結婚相手を見つけては送りだす。という、寮というか学校というか、そういう共同生活をします。

先の、弟子の全教さんは小児まひで左手がわずかに動くだけ。という状態で、順教さんの話を知って、一目会いたいと広島からやってこられます。順教さんの弟子になり、身の回りの世話をすることになりました。例えば、トイレ掃除をしようにもできません。でも、できるまでやり続けます。
一度、「どうやってなさったのですか」とお尋ねしたら、ただ、「できるまでやった」というお答えでした。
順教さんが亡くなって自分が庵の後継ぎになって、同じように障害をお持ちの女性と共同生活をし、また結婚相手を探して送り出す。ということを続けます。
私はある日、全教さんに尋ねたことがあります。
「自分も結婚して、庵を出ていく日を夢見たことはなかったですか?」
そしたら予想外の答えが返ってきました。
「西山さん、そうじゃないんです。私は、先生から、残れと言われた。他の人はすべて卒業して構わないが、あなたは後を継げと言われた。何もできなかった自分が自分の生活も、先生の生活もお世話できるようになって、気がつけば何十もの家族ができた。私は本当に幸せになったんです」。
参った!と思いましたし、実際に全教さんの前で頭を上げられなくなり、もういい加減に頭をあげてと言われるまでずっとこうべを垂れていました。

これは職人さんの話と同じで、とにかく歩いて、いつか振り返ってみたら自分の後ろにしか道はなかった。という状態です。

実はこの「できる」の中に、いのちの本質の一端が隠されています。
それは、主観的事実でいえばクロノスではなくてカイノスに転換されています。
カイノスの蓄積によってクロノスが動いている感じ。になります。また、命を知る手がかりもこの中にあります。

「知らない」は、今この瞬間に、物事を知らない人を評価するとしたら、それはちょっと残念という意味での低い評価になるのですが、しかし実際には、「明日知ることができる」ということです。時間軸で言うと、それは未来です。
「知っている」は今現在です。「知っていた」は、過去です。

同じように「分かっていない」は、未来です。
「分かっている」は今、「分かっていた」は過去です。

同じように「できない」は、「明日できるようになる」ことの裏返しですから、未来です。
「できる」は今です。「できていた」は過去です。

大人になってみて、他の大人と付き合い始めると困るのが、「知らない」「分からない」「できない」を、未来ではなく、現時点での否定の意味でとらえる人が多いことです。子どもの頃の「できない」は否定ではなく「希望の塊」だったことを思い出したほうが良いです。

また、「できていた」と「できる」の区別がつかない人が意外に多い。ということです。これを老いと言います。「できていた」は「今はもうできない」であって、それは時間流れとともに、追いやられた物事です。実際は「できていた」ですが記憶は「できる」のままで止まっていたりします。

無用な摩擦が起きてお互いに腹が立つのは、一つの物事について、相手と自分がそれぞれ、この9つのステージの中でどこにいるのかを見失ったままコミュニケーションする時などです。

「できる」がなぜ重要なのか。それは、他人と深くかかわることができるのは「できる」の領域だけだからです。

適性も何も関係なく「できる」に仕立てて、その人の未来を切り開くなんて高等なことは、残念ながら「知っている」「分かっている」の世界だけではできません。「知っている」を積み上げても人生は構築できないのですよ。

知っている、分かっている、できる、の領域だけが、クロノスで言うと、「今」です。自分の「できる」と相手の「できる」の接点だけが、今を芳醇な世界に作り上げていきます。自分のできると、相手のできるが融合して、そこにコミュニケーションが生まれます。

ちなみに、相手から「できる」を奪うと、コントロールしやすくなっていきます。
自由を奪うとか、自主性を奪う。というのは、「できる」を奪えば簡単にコントロールできるようになっていきます。これが現代社会です。「できる」が減って、「分かっている」と「知っている」が増えていく。これが現代人です。
自給自足で生きている人に、求められていない何かを押し付けることはできない。だから殺すしかない。先住民の駆逐の原理です。
自立した人ほど厄介な相手はない。だから、気づかれないように相手の「できる」を奪う。
相手から「できる」を奪っていくと、御しやすくなる。社会全体の仕組みもそうです。

農業を忘れた国に豊かな未来はあるのか?ないですよ。
裁縫を忘れて、自分の洋服をアジア諸国で作ってもらう国の人たちに、服飾の文化が育つのか?育たないですよ。
そこにあるのは、形としての洋服であり、形としての食事であり、そんなものは本質とは言わないです。

一方で、だからと言ってこの流れとお金に対する批判をくっつけるのは間違いです。お金は縁の一つです。縁を否定するということは、自分を否定し、相手を否定するのと同じですから、幸せではありません。

マルマトリートメントの講習では、「できる」になっていただきます。
「できる」じゃないと、ケアの現場で、クライアントとセラピストによる素敵なコラボが生まれないからです。

実在は、楽しみだけではなくて苦を生み出しますし、人はその苦におぼれていくのですが、その苦にさえ出会うことは、奇跡であった。それは実在があればこその気づきであり、それ自体がギフトであった。

すべてのドラマは実在をステージにして起こります。そのステージを作り上げていくのは「できる」の世界にあるものです。だから人の手から「できる」を奪ってはならない。と思っています。しかし現実には、現代社会からはいろいろと「できる」が消えています。

私はこういうことがあって、マルマトリートメントを体系づけることができた時に、人の手の中に良い仕事を返したい(帰したい)と思ったのです。
しかも、今の人は「できる」が少なくなって、実は手が空っぽだから、良い仕事ならば、もう一度、手の中に入れてもらえるぞ。しかもマルマトリートメントって、はっきり言って、最も幸せだぞ。よし、最高の仕事を人の手の中に帰して(返して)いこう。これは社会運動そのものだぞ。と思っています。

おそらくお気づきでしょうが「できる」ではない状態は「できない」です。
できない人は永遠にできるようにならない。ロジックで言うと、そうなります。
でも間違いなく、できない人ができるようになります。
なぜかというと、できるになるための方法は一つだけで、それは、「する」ということです。
「知っている」や「分かっている」をいくら積み上げても決して「できる」にはなりません。「できる」になりたかったら「する」ことです。
「しない」と、いつまでも「できない」から脱出できません。

ここに、実在における時間や実在するものの面白さ、エネルギッシュさ、ダイナミックさというものが重なり合ってきます。マルマトリートメントは、私しか知らなかったことなのに、なぜ、いろんな人ができるようになったのか?今、この技術をできている方々が「自分でする」という選択肢を選んでくれたからです。マスターされたという事実は「する」を選んだ結果であり、「する」から生まれた「できる」の世界の住人になったので、ご自身の世界が変わっています。「できる」の世界の住人は、いのちの主人公は自分自身です。自分のいのち、価値観が主人公であって、それをどうやって社会と共有していこうか。ということが課題になります。

これを学んでいただける人は「できる」になってもらいたい。
それは「できる」の世界の住人しか理解できない世界の見え方があって、そこから見る世界は絶景であり爽快であり、好奇心がわき起こってくる、希望の世界になります。私が見ている世界を皆さんも見てほしいのです。

今度は「できる」を生み出す、「する」ということについてです。
実は、人は意図して行うこと以外に、「知らずに行うこと」があります。「反射」です。
選択と反射は、意識と無意識があって、実は結構、私たちの存在は無意識の選択と反射に影響されています。

お話をする前に、皆さんの後頭部を触りましたでしょう。
これの種明かしをします。
目玉の裏と鼓膜には小さなチャクラがあって、普通の人はこれが活動していません。このふたつのチャクラは、取捨選択の働きをします。選択的に働くバリアです。ここが働くと、自分の存在にとって必要な情報は取り、要らない情報は受け取り拒否をします。
例えば朝起きてテレビをつけたら、何とか県でおきた殺人事件の詳細が事細かに報道されます。冷静に考えたら、その情報はほしくないです。私の人生で最後の1日かもしれない今日を、なぜ、狂人の論理を知ることで始めなければならないのか。いらないです。でも、取捨選択の働きがないので、無条件にこれを受け取ります。目と耳のチャクラが活性化していると、無意識にこれを捨てます。
言葉の情報として殺人事件という情報は得ているが、心の中に溜めこまれないで済みます。

また、疲れがたまっていて顔色の悪い人は、いくらでも他人の悪感情も吸い取っていきます。
これが習慣なんです。
疲労は溜まり始めたら、疲労していくベクトルを好みます。
回復している人は疲労を嫌います。
私たちの存在の面白いところは、習慣に引きずられることです。
進むべき方向を習慣に引きずられることで、コントロールされてしまうのです。

老いは何だと思いますか?
私は老いは決して、クロノスの積み重ねだけではないと思っています。
老いは、疲労という習慣×時間だと思っています。
疲労という習慣を消せば、老いは去っていきます。
例えば、老けた顔を治すためのボトックス注射や、額にワイヤーを入れる手術がありますが、老いという根底に流れているベクトルへのアプローチではないです。
マルマトリートメントの手技の中に組み込んでいる顔へのアプローチは「そこに疲労はないですよ」ということを筋肉や頭蓋骨に教えていく作業です。
そこに疲労はないので、瞬間で若返ります。
それは、傍から見ればマジックであり、ゴッドハンドなので、私がこれをやるといつでも大騒ぎになります。
でも、いのちって何?という疑問から逃げられない立場に立てば、すごく当たり前のことなんです。

これらの一端は、自分の呼吸でも感じ取ることができます。

まず、普通に鼻から呼吸し、呼吸量を覚えてください。
次に、話をしたい。という意味で「話したい」と言ってください。
次に、トークしたくないという意味で「話したくない」と言ってください。
「話したくない」と言っただけで、のどや胸郭が仕事を辞める。呼吸が浅くなる。ということが分かりますか。
次に「ありがとう」と言ってください。その呼吸量を覚えてから、「馬鹿野郎」と言ってください。どうですか。「ありがとう」はのどが開いて呼吸量が増え、「馬鹿野郎」はのどが閉まって息が苦しくなるのがわかりますか。
体がつらい時にこそ「ありがとう」を言わないといけないのです。
愚痴を言って、他人のせいにしたくなるんですけれど、それをしたら、確実にもっと自分は窮地に陥ります。呼吸ができなくなるのです。つらい時にこそ「ありがとう」。身体が好転し始めます。

これは、全然、道徳とか人生訓の話じゃないのですよ。これを道徳の話と一緒にしてはいけません。実在の話なんです。
こうした実験をやってみると、身体の物理的な反応がそうさせている。というのがわかります。これもまた、人は実在である。ということの証明です。

無条件に選択と反応がおこる。ということについてもう一つ、
宮沢賢治と並び称されることもある、僧侶で児童文学作家の花岡大学さんという人が昔いて、この人の言葉ですが「色眼鏡でしか社会を見ることができないのならば、せめてバラ色の眼鏡をかけよう」ということです。人は我にとらわれる我執、という煩悩に支配されていますから、それが先入観になり、固定化され、とてもとても、物事をきちんと見ることはできません。
煩悩は死ぬまで消えませんから、この眼鏡をはずすことはできません。
じゃあ、せめて、バラ色の眼鏡にしよう。という話です。
選択して反応した記憶が習慣になり、その人を作っていきます。

人身受けがたし、今すで受く。です。

人間になることなんか類まれなことで、次はもうないのに、せっかく人間でいる時間が、他人を恨んだり、他人の殺人事件を一生懸命解説してみたり、他人の人生の記憶を一生懸命自分の中に取り込もうとしてみたり、実はそれは、どうでもいいことなんです。
ものごとを見るときに、こんな風にして、考え方を変えていきたい。

考え方を変えるために、非常に役立つことがあります。
『人間ブッダ』(田上太秀著・レグルス文庫)という書籍に、胸打つゼロの概念の解説があります。これをもとに、お話しします。

ゼロの話し手元のシートを見てください。
鉛筆がありますので、ここに書き込んでいただきます。
中心がゼロです。ゼロと書いてください。
メモリがありますので、そこに、1~10まで書き込んで、表を完成させてください。ゼロの発見はインドでした。そして、勘違いされて伝わりました。

ゼロは何もない。と教えてもらったと思います。

でも、メモリを中心の何もない地点から、1個ずつ、追いかけて行って下さい。
最後に10になります。10という数字の中に、ゼロがあります。
このゼロは、何もないんじゃなくて、全部ある。という意味です。
全部あるから、10として数えることができます。何もなかったら、10ではなくゼロであり、全く何も増えなかったことを意味します。
でも、事実は、ゼロから始まり10個増えて、10になりました。その過程にあったものをすべて、この10の中のゼロが含んでいるから、そういう表現になります。

ゼロはもともとインドで発見されたときは、何もないと同時に「膨れるもの」という意味でした。サンスクリット語で「シューニャ」と言います。
「シューニャ」は、むくみなどが膨れていくという動詞で、その動詞が転じて、何もない。空っぽという名詞になったと言われます。

膨張と虚無が一体になったことをシューニャ。これをゼロと表現しました。

仏陀の言葉をまとめた『スッタニパータ』という句集があります。
「常によく気をつけ、我に固執する考えを捨て、世界をシューニャであると観察しなさい」スッタニパータ1119

この言葉の意味は、「世界は膨張するものだと観察しなさい」でしょうか?
それとも「世界は虚無であると観察しなさい」でしょうか?
その違いが、違いすぎて恐ろしいでしょう。
シューニャの解釈で、これくらい言葉の意味が変わります。

シューニャは漢字に翻訳されたときに「空」になり、空っぽという意味が強調されました。
日本でもっとも有名なお経は「般若心経」でしょう。
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是…。

いのちを構成している要素である五蘊が、皆、空っぽです。だから私もあなたも空っぽですよ。と捉えるか。
それとも、これらはすべて膨張していくものです。だから私もあなたも、一瞬たりともとどまらないけれど、それは無限であるからこそなんだよ。というか。
仏陀が言いたいのは、どちらだと思いますか。

いのちは無限に広がっていくものである。
と捉え直していくと、どんどん、心も体も心地よく、軽くなっていくのがわかるでしょう。

私たち自身が「シューニャ」であって、そこに抱かれたいのちとして今がある。それをとらえ直す作業をすると、実はケアという手仕事の意味も変わってくる。

今、ここにある実在をこんなふうにして見直して、「ここにいて良かったね」「ここに身体があってよかったね」と言える瞬間を生み出せたとしたら、ものすごく幸せなんじゃないか。
真っ暗な「暁」の時間の中で、でもどこかから太陽が昇ってくる気配を感じ取れませんか。
私はそう思うのです。

Fin.

 
マルマトリートメントセラピスト協会
連絡先 当会代表西山宛てのEメールです。marma.nishiyama@gmail.com @を半角に打ち変えて、送信してください。
前記の通り、ノウハウに関するご質問は一切お受けしませんので、悪しからずご了承ください。

copyright マルマトリートメントセラピスト協会 since 2014 当サイト掲載事項の無断転載を禁じます

セルフケア | マルマトリートメントによるケアの例 | 所見 | トップページ